アルフレッド・ラッセル・ウォレスの冒険
どのような人生を送っていたのか大変興味があります
アルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace, 1823年1月8日 - 1913年11月7日)は、イギリスの博物学者、生物学者、探検家、人類学者。アマゾンとマレー諸島を広範囲に実地探査した。分布境界線(ウォレス線)の発見者であり、生物地理学の父と呼ばれる。チャールズ・ダーウィンとは独立して自然選択を発見し、進化論の発展を支えた。またイギリスの社会経済の不平等に目を向け、人間活動の環境に対する影響を考えた初期の学者の一人でもあり、講演や著作を通じて幅広く活動した。
1823年にウェールズのモンマスシャー州ウスクに生まれる。父は法務官で社会的地位は低くなかったが、生活はまずしかった。ウォレスは生物学の専門教育を受けたことのない在野の研究者であった。小学校を卒業した後、兄の土地測量の手伝いなどいくつかの仕事を転々としたあと、1844年にレスターの小学校の教員となった。レスターでは生涯の友人となる、アマチュアの昆虫収集活動をしていたヘンリー・ベイツと知り合う。ウォレスはこのときの出会いを後年回想し「よく覚えていないが図書館で誰かに紹介されたと思う」と述べている。仕事のかたわら植物などの採集・蒐集を行っていたウォレスはベイツと意気投合し、当時話題になっていたダーウィンの『ビーグル号航海記』をはじめフンボルト、ライエル、スペンサーらの著作を、またマルサスの『人口論』などを読み、意見を交わしあった。1845年に死んだ兄の仕事を継ぎ、土地測量士としてレスターを離れると手紙でベイツとの交流が続いた。
1848年、ウォレスはベイツを誘い、アマゾンの熱帯雨林で標本を収集するためにブラジルへ旅立った。ブラジルではベレン近郊で数ヶ月間ともに収集活動したあと別れて標本採集を続けた。1850年に一度合流したあと、ウォレスは1852年に帰国した。しかしこのとき、彼の船が火災に遭い、コレクションの大部分が失われた。この事故でウォレスは10日間に渡って漂流しようやく救助されたが、手ぶらで帰国することになっ。帰国後『アマゾン河探検記』を出版するが、参考になる資料をほとんど失っていたためダーウィンにあまりに不十分と酷評され、売れ行きも悪かった。
この航海には保険が掛けられていたため、保険金を元に1854年から1862年まで東南アジアのマレー諸島一帯への採集旅行に出た。
この旅でウォレスは、昆虫から鳥類、オランウータンまで多様な動物標本を採集して経済的にも成功を収める一方、生物種の地理的分布と進化についての証拠を集め、6本の論文をロンドンの学会誌に投稿した。またこの採集旅行の間に、スンダ列島のバリ島とロンボク島の間に分布する動物種に明かな差違があることに着目し、生物地理学上の分布境界線の存在を発見した。これは後にトマス・ヘンリー・ハクスリーによってウォレス線と名付けられた。
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